環境汚染物質


がん専門医が、患者さんに抗がん剤を投与する事を「治療」と呼ぶのは当然ですが、ご自身の皮膚に一滴でも付着した場合は何と呼ぶのでしょうか。

 

抗がん剤を取り扱っている医療従事者のリスクは
(中略)
取扱い作業中にエアロゾル化した薬剤を吸入する,
しぶきやはねによって薬剤が皮膚や目に付着する,
薬剤に汚染された手指から食物などを介して薬剤を経口摂取する,
(195頁)


抗がん剤の安全な取扱いの原則の要点を以下に列挙する.

1.抗がん剤が人体に侵入する経路は,気道,皮膚,口腔があり,曝露と拡散を避けることによって,抗がん剤の人体への侵入を防ぐ

2. 取扱いの基本は防護であり,上の3つの経路からの侵入をバリアによって阻止する. バリアプロテクションに必要な物品は,手袋,マスク,ガウン,ゴーグル,キャップである...
(197頁)


内部曝露レベルについて

尿中シクロホスファミド濃度測定による生物学的モニタリングを施行して看護師の生体に取り込まれる量を評価した研究では,
(中略)
安全キャビネットを使用せず抗がん剤を取り扱っていた看護師25名中20名から0.02-9.14μg/24 h 検出されたという報告がある。
(中略)
抗がん剤を取り扱った所だけでなく,それ以外の場所でも,抗がん剤が検出された,と報告されている。
(197頁)


『抗がん剤を取り扱う医療従事者の健康リスク』
冨岡公子,熊谷信二
大阪府立公衆衛生研究所 生活衛生課
産衛誌2005; 47

 

この文献は、研究者の方により作成されたものですが、「汚染」という表現は、適切な表現だと思います。
他の同様の文献も複数確認しましたが同じ表現が使われており、薬剤師の方によって作成された資料も存在します。
抗がん剤による汚染問題を取り扱った文献はいずれも、シクロホスファミドによる曝露の報告が突出していました。
シクロホスファミド(商品名 エンドキサン)とは、このような物質です。

 

項目
 
物質名
シクロホスファミド
各種コード番号
CAS番号:50-18-0
用途
医薬,医薬中間体
外観的特徴
外観 : 結晶。白色結晶または結晶性粉末
臭気 : 無臭
変異原性
微生物突然変異試験 ハムスター(生体外) 陽性
DNA損傷試験 ハムスター(生体外) 陽性
染色体異常試験 ヒト(生体外) 陽性
姉妹染色分体交換試験 ヒト(生体外) 陽性
体液(尿,血液等)試験 ヒト(生体外) 陽性
毒性症状
経口摂取と他の投与により人間に毒性を示す。
経口摂取,腹腔内投与,静脈内投与,皮下投与,筋肉内投与,他の可能な投与により毒性を示す。
人間に対する発がん性物質である
動物実験では発がん性物質,催腫瘍性物質,催奇剤である。
経口摂取,静脈内投与,腹腔内投与,皮下投与その他の投与により人間の全身に影響する
多数の投与により人間の生殖や催奇性に影響を与える
実験によると生殖に影響する。
強力な皮膚刺激剤である
細胞毒につき取扱い注意。
主な副作用は骨髄機能抑制による白血球および血小板の減少
発癌性
評価機関評価内容
IARC発癌性評価1 [発癌性の十分なデータがある物質]
神奈川県環境科学センター 環境情報部
化学物質安全情報提供システム(kis-net)
シクロホスファミド 個別物質全項目表示(1/1)
データの一部を、引用して表を作成。


研究者の方によって作成された文献の中で「抗がん剤を取り扱った所だけでなく,それ以外の場所でも,抗がん剤が検出された」とありました。
抗がん剤の調製室外も、汚染されている証拠です。
汚染が何故、広範囲に及んでいるのか、その原因を究明する手掛かりとなる文献があります。

 

抗がん剤投与患者さん、ご家族(介護者)の安全管理について

抗がん剤は投与後しばらくの間、尿や便に残ります。
便や尿などに直接触れて も健康に害を及ぼすようなことはまずありませんが、できる範囲で結構ですので 以下の対策をお取りください。

対策を取る期間について
●抗がん剤投与後2日間、対策をお取りください。3日目以降は特別な対策は必要ありま せん。

日常生活の注意
◆男性の方も、便座にこしかけて排尿してください。
◆尿がこぼれた場合は、トイレットペーパーできれいにふきとってトイレに流してください...


関西電力病院 外来化学療法室・薬剤部 2011.7.13 作成

 

これは関西電力病院の薬剤師の方によって作成された、患者向けパンフレットの記載の一部です。
このパンフレットを作成するに至った経緯については、「がんナビ」(日経BP社)というサイトでインタビュー形式の記事が公開されています(平成25年5月1日現在)。
「がんナビ」 トップページURLは http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cancernavi/ です。


これまで、抗がん剤の曝露による注意喚起は、医療関係者に対してのみでした。
患者向けに、このようなパンフレットを作成したのは画期的な試みであり、高く評価されるべきだと思います。

しかし、インタビュー形式の記事を見る限り、やはり肝心な事が患者側に伝えられていません。
抗がん剤の曝露による発癌リスクについて、患者さん、ご家族に伝えなければ、何のために対策が必要なのかということも伝わりません。
パンフレットでは、「健康に害を及ぼすようなことはまずありません」と記載されていますが、インタビューではこのように発言されておられます。


薬学の研究グループによる論文では、拭き取り調査をした結果、トイレに一番抗がん剤が多く残留していたというデータが出ていますが、そうした飛散した微量の抗がん剤の曝露によって家族にどれだけ影響があるかということを調べた研究はありません
(中略)
...よく尋ねられるのはお孫さんなど小さいお子さん、特に乳幼児がいらっしゃる場合です。
小さい子供であれば大人よりも影響を受けやすいことが考えられますので、その場合はきちんと対策をとっていただいたほうがよいでしょう。


家庭での抗がん剤曝露防止―患者・家族もほんのちょっとの心がけを
関西電力病院 薬剤部長の濱口良彦氏と同院がん薬物療法認定薬剤師の倉橋基尚氏に聞く
野中希=医学ライター
がんナビ(日経BP社)
http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/all/cancernavi/
(平成25年5月1日確認)

 

健康に害を及ぼすと考えるべきであり、小さい子供はその影響をより大きく受ける恐れがある、そう思われたからこそ、パンフレットの作成を決断されたのでしょう。
惜しむらくは、パンフレットの文章では、危機意識が芽生えない事です。
悪意の無いがん患者にとって、トイレの使用は病院内のみならず、家庭、外出先、ありとあらゆる所でしょう。

 

現在ガンの化学療法には多くの種類の抗ガン剤が使われるが、それらの多くは抗ガン作用と同時に発ガン作用も併せ持っている。
化学療法を受けているガン患者の排せつ物の中には当然多量の抗ガン剤が含まれており、多くの場合、これらの物質はノーチェックで都市下水に流れ込む。
従って、もし処理場で処理しきれなければ、これらの抗ガン剤は環境水中にばらまかれることになるのである。


『枯草菌Rec-assay法による抗ガン剤の遺伝毒性評価』
土木学会第45回年次学術講演会(平成2年9月) 956頁
京都大学工学部付属環境微量汚染制御実験施設
正員 松井三郎
学正員 松田知成


薬剤師の方々の本音としては、患者側に対して注意喚起を促したいと思う一方、立場上の問題もあり、パンフレットの文章表現に苦慮されたのではないかと察します。
しかしそれでも、パンフレット作成は大きな一歩です。
願わくは、もう一歩踏み込んで頂き、発癌リスクについて患者側に注意喚起がなされることを望みます。
患者側へ事実が明らかにされない限り、問題が公に議論される事も有り得ず、抗がん剤の成分が「環境水中にばらまかれる」リスクも存在し続けます。
病院外へのリスク拡散は社会的犯罪といえるでしょう。

もちろん、病院内の曝露リスクも看過できるものではありません。
シクロホスファミドは室温でも揮発する恐れがあり、容易に拡散する危険性が指摘されています。
病院のトイレで最も曝露する可能性が高いのは、清掃員の方です。
化学療法が実施される病室の汚染も懸念されます。
患者さんのご家族、お見舞いの方など病院利用者であれば誰でも曝露する恐れがあります。
特に、「大人よりも影響を受けやすい」子供たちを思うと、このような理不尽な状況が許されてよい訳がありません。
この問題の解決にあたっては、化学療法推進派も積極的に協力せねば、そのモラルを疑われることになるでしょう。

推進派はこれまで目を背け続けてきた、抗がん剤が有する発癌性の「強さ」を直視せねばなりません。
投与する側が、その付着を「汚染」と呼び、バリアプロテクションを徹底している実態が明らかである以上、認めるべきは潔く認め、汚染被害を最小限度に食い止めるべく力を合わせるべきです。
そして、この汚染拡散を招くきっかけとなった、がん専門医の説明義務違反を厳しく追求する必要があります。
がん専門医が全体として責任を問われれば、病院側としても対策を講じざるを得なくなるでしょう。
化学療法を受ける患者さんへの十分な説明と適切な指導、曝露リスクが存在する期間のトイレの区別、病院内における汚染対策に必要な設備の設置、定期的な汚染状況の調査及びその結果の公表。

これらは実施されて当然といえるものばかりであり、現状は医療における「恥」です。

 


殺虫剤亜ヒ酸